ロパーヒン やっと汽車が着いた、やれやれ。何時だね?
ドゥニャーシャ まもなく二時。(蝋燭を吹き消す)もう明るいですわ。
ロパーヒン いったいどのくらい遅れたんだね、汽車は? まあ二時間はまちがいあるまい。(あくび、のび)おれもいいところがあるよ、とんだドジを踏んじまった! 停車場まで出迎えるつもりで、わざわざここへ来ていながら、とたんに寝すごしちまうなんて……。椅子にかけたなりぐっすりさ。いまいましい。……せめてお前さんでも起してくれりゃいいのに。
ドゥニャーシャ お出かけになったとばかり思ってました。(耳をすます)おや、もういらしたらしい。
ロパーヒン (耳をすます)ちがう。……手荷物を受けとったり、何やかやあるからな。……(間)ラネーフスカヤの奥さんは、外国で五年も暮してこられたんだから、さぞ変られたことだろうなあ。……まったくいい方だよ。きさくで、さばさばしててね。忘れもしないが、おれがまだ十五ぐらいのガキだった頃、おれの死んだ親父が――親父はその頃、この村に小さな店を出していたんだが――おれの面をげんこで殴りつけて、鼻血を出したことがある。……その時ちょうど、どうしたわけだか二人でこの屋敷へやって来てね、おまけに親父は一杯きげんだったのさ。すると奥さんは、つい昨日のことのように覚えているが、まだ若くって、こう細っそりした人だったがね、そのおれを手洗いのところへ連れて行ってくれた。それが、ちょうどこの部屋――この子供部屋だったのさ。「泣くんじゃないよ、ちっちゃなお百姓さん」と言ってね、「婚礼までには直りますよ(訳注 怪我をした人に言う慰めの慣用句)。……」(間)ちっちゃなお百姓か。……いかにもおれの親父はどん百姓だったが、おれはというと、この通り白いチョッキを着て、茶色い短靴なんかはいている。雑魚のととまじりさ。……そりゃ金はある、金ならどっさりあるが、胸に手をあてて考えてみりゃ、やっぱりどん百姓にちがいはないさ。……(本をぱらぱらめくって)さっきもこの本を読んでいたんだが、さっぱりわからん。読んでるうちに寝ちまった。(間)
ドゥニャーシャ 犬はみんな、夜っぴて寝ませんでしたわ。嗅ぎつけたんですわね、ご主人たちのお帰りを。
ロパーヒン おや、ドゥニャーシャ、どうしてそんなに……
ドゥニャーシャ 手がぶるぶるしますの。あたし気が遠くなって、倒れそうだわ。
ロパーヒン どうもお前さんは柔弱でいかんな、ドゥニャーシャ。みなりもお嬢さんみたいだし、髪の格好だってそうだ。駄目だよ、それじゃ。身のほどを知らなくちゃ。
エピホードフが花束をもって登場。背広を着こみ、ひどくギュウギュウ鳴る、ピカピカに磨きあげた長靴をはいている。はいってきながら花束を落す。
エピホードフ (花束をひろう)これを庭男がとどけてよこしました。食堂に挿すようにってね。(ドゥニャーシャに花束をわたす)
ロパーヒン ついでにクワスをおれに持ってきとくれ。
ドゥニャーシャ かしこまりました。(退場)
エピホードフ 今ちょうど明け方の冷えで、零下三度の寒さですが、桜の花は満開ですよ。どうも感服しませんなあ、わが国の気候は。(ため息)どうもねえ。わが国の気候は、汐どきにぴたりとは行きませんですな。ところでロパーヒンさん、事のついでに一言申し添えますが、じつは一昨日、長靴を新調したところが、いや正真正銘のはなし、そいつがやけにギュウギュウ鳴りましてな、どうもこうもなりません。何を塗ったもんでしょうかな?
ロパーヒン やめてくれ。もうたくさんだ。
エピホードフ 毎日なにかしら、わたしには不仕合せが起るんです。しかし愚痴は言いません。馴れっこになって、むしろ微笑を浮べているくらいですよ。
ドゥニャーシャ登場、ロパーヒンにクワスを差出す。
エピホードフ どれ行くとするか。(椅子にぶつかって倒す)また、これだ。……(得意げな調子で)ね、いかがです、口幅ったいことを言うようですが、なんたる回り合せでしょう、とにかくね。……こうなるともう、天晴と言いたいくらいですよ! (退場)
ドゥニャーシャ じつはね、ロパーヒンさん、あのエピホードフがあたしに、結婚を申しこみましたの。
ロパーヒン ほほう!
ドゥニャーシャ どうしたらいいのか、困ってしまいますわ。……おとなしい人だけれど、ただ時どき、何か話をしだすと、てんでわけがわからない。聞いていれば面白いし、情もこもっているんだけれど、ただどうも、わけがわからなくってねえ。あたし、あの人がまんざら厭じゃありませんし、あの人ときたら、あたしに夢中なんですの。不仕合せな人で、毎日なにかしら起るんです。ここじゃあの人のこと、「二十二の不仕合せ」って、からかうんですよ。……
ロパーヒン (きき耳を立てて)さあ、こんどこそお着きらしいぞ……
ドゥニャーシャ お着き! どうしたんでしょう、あたし……からだじゅう、つめたくなったわ。
ロパーヒン ほんとにお着きだ。出迎えに行こう。おれの顔がおわかりかなあ? なにせ五年ぶりだから。
ドゥニャーシャ (わくわくして)あたし倒れそうだわ。……ああ、倒れそうだ!